himitsukichi

最近ブラックコーヒーを自ら飲むようになりました

私生活成果主義

 

いつからだろうか。

 

「今日の成長」を実感できないと満足できなくなってしまったのは。

一日の「成果」を実感したがっている。俺の頭が体が成果を求めるようになっている。

 

自分にとっての「成果」とは、一言でいうと、

「昨日の自分より何か一つでも成長できたと実感できること。」

 

である。

 

具体的には

・読書をして新しい知識を得た。

・筋トレをして筋肉痛になった。(筋肉痛が自分的に大事)

・資格等の勉強を行い、知識が身についた。

・初めての場所に行き、心が動いた。

・今考えている自分の考えを文字にまとめることができた。

・メルカリでモノを売った(断捨離+金を得ることから。)

・新しい人と出会うことができ、その出会いの中でコミュ力が試された。

 

などなど…。

 

ただ、自分の生活環境や年齢・状況などによって自分にとっての「成果」そのものも変わってきて、その点で言うと具体例の最後に挙げた、「新しい人と…」については今そんな望んでもないし、むしろ面倒と思うようになってきた。主に結婚してから。

 

 

まずは、この成果に捕らわれるようになった始まりはいつからだろうかと遡った。

明らかに意識しだしたのは間違いなく社会人になってからだ。社会人割と早め1年生くらいだろうか。

 

 

ではそれ以前、つまり大学生の頃は「成果」を考えていなかったのかというとそうでもない。

 

大学のころは、遅寝遅起き飲み麻雀授業に出れず単位放出というゴミ大学生数え役満のような生活を送っていた…

 

しかし、

 

何か「新しいこと」ができたときに、確かに溢れていたのは脳汁。

例えば、大学生ならではの格安クソ旅旅行であったり、ママチャリで100㎞海山超えたり、ヒッチハイクだったり。

 

その時の感情の高まりを、具体的な言葉にまで昇華できていなかったが、それも今思えば「成果」の原石なのかもしれない。

 

(その感情を成果の一言で片づけるのは聊か寂しいが。)

 

学生から社会人となり、周りの環境が変わり、飲み麻雀ばかりする友人がいなくなったことにより時間ができた。それによって、今まで見つけてやれなかった自分の感情が顔を出し、今やっと言葉としては認めることができたのではないかと思う。

 

 

 

では、なぜ自分は成果主義なのか。

 

 

いろいろと考えた結果

 

・自分が成長したと思えることが好き。

・会得した知識・経験などに影響され自分自身が変わったと感じることが好き。

・新しく得た知識・経験を活かす、披露することが好き。

 

この3つが主な理由かな。

 

本で読んだ知識を日常生活で活かせる場面に出会うと、あっここ進研ゼミに出た出た状態で脳が異様にビキビキなる。気持ちいい。

 

そもそも、自分自身へのこういう深堀を行うことすらも、

君たちはどう生きるか」「メタ思考トレーニング」等の本を読んで、なぜなぜ、自分の思考についてよく考えてみよう、と思ったところもあるので。

影響されて動いた一つでもあるよね。ブログはずっとしたかったことだけど。

 

 

あと、仕事×成果(成長)が最強なのでは、と思った時期もあるけど今はそこまで思っていない。

 

仕事関係の知識等を集中的に勉強することで、自分の成果主義も満たせるし仕事にもプラスだしWINWINなのでは?と。

 

でも、それってあんまり面白くないと感じる。

 

まず第一に、いろんな分野のことを知りたい。気になったことを知りたい。いろんなことを知ることが面白いと感じる。これが一番。

 

あと自分は公務員だからどんだけ勉強を重ねても評価に直結するわけでは無いということも大きな理由。

 

 

楽しいことをしていこう。

 

 

よってこれからの自分の生活も今のところ成果主義である予定。

(ときどき成果主義によって自分自身が苦しくなる時があるがそれはまたいつか考えをまとめたい。)

成果主義だけど、変わるかもしれない、考え。でもそれもまた成果・成長なんだと思う。

 

 

日々自分のアップグレードしていこう!

おっけーレッツゴー!死ぬまで楽しんでいこ!

 

 

それでは。