歌乗っ取り
『歌乗っ取り』に関していえば、『崖の上のポニョ』が最強だと思う。
いきなり何を言いだしたのか…と思われるだろう。
ポニョは心温まる海物語なので乗っ取り要素など無い!
と思われた方々、誤解を招いて申し訳ないが、ゆっくり聞いてほしい。
整理しよう。
想像してほしい。よくあるシーンだ。
自分が歌を歌っている、鼻歌がいいな、宇多田ヒカルでも歌っていたとしよう。
突然、横から友達が違う歌を歌ってきた。
鼻歌じゃないボリュームだ、うるさい。
さて、どうなる?
⇒ 友達ソングに引っ張られ、あなたの中で宇多田メロディーが崩壊し、いつの間にか友達ソングを歌ってしまう。
これ、あると思います。
この現象について、『歌乗っ取り』と今だけ呼ばせてほしい。
人の歌を乗っ取りやすい=つまり(そういう意味では)強い歌にも条件があり、中島美嘉の「雪の華」のAメロでは恐らく無理だ。
じゃあどんな歌が乗っ取りに適しているかということなんだけど
専門家によると、以下4点が乗っ取りに適した歌の条件であるらしい。
1.乗っ取られる側が知っている。
2.歌いやすい簡単なメロディー。
3.アップテンポ。
4.破壊力がある≒うるさい。
ここで思い出してほしい。
そう、崖の上のポニョ。
…見えるだろうか、崖の上から不敵に薄ら笑いするポニョの姿が。
恐る恐る、ちょっと歌ってみよう。
ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
青い海からやってきた
ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ
まんまるおなかの女の子
………
もういい。
もう充分だろう。
特筆すべきは、なんといってもはじまりの『ポ!!!』
開始早々特大アクセント、フォルテッシモだ。
このフォルテッシモ、いわばポニョテッシモにより必殺先制パンチでどんな歌をも乗っ取ることができる。
万が一、このワンフレーズを耐えることができたとしても、さかなの子~の後には、今度は膨らんだポニョが襲い掛かってくる。
もう無理だ。
一緒にポニョを歌おう。
パクパクチュギュしよう。
そして一緒に青い海へ帰ろう。
…
なお、2連ポニョポニョを耐えることができたら、イントロに入るため猛攻は収まり逆転勝利の兆しがあるが、そこまでたどりついた人類はいないと言われている。
…
結論
ポニョが最強。
夏休みに恒例と化した金曜ロードショーかなんかであるらしいね。
よい夏を。
それでは。
はじめての全身麻酔
5月某日、ついに手術することが決まった。決まってしまった。
大した病気では無いけど、今後のために手術を行う。
自分への投資だ、全身麻酔を添えて
手術にあたり、
事前検査や当日入院が必要となり仕事休み連発するので係長にその旨を伝えたところ、
「いくらでも休め、体が一番大事、仕事のことは任せろ。」
アンミカも驚くホワイト発言で背中を押してくれた。
ありがとうございます。
自分もこういう言葉かけれる人になろうと誓った。
「あっ、聞いた話だけど、たまに麻酔から目覚めないこともあるらしいけ、気いつけて。」
自分に立てた誓いを秒で破った。
係長よ、気は確かか。
部下の不安をアイスピックでほじくり回すようなことがよく言えたなと思う。
てか気を付けるって何にだ。ブラックコーヒーでも飲んでおけばいいのか。
とにかく職場の休みをキープしたので、一抹の不安とともに病院へ向かう。
手術するには
その概ね1週間前に病院へ行き、事前検査を受けたり、麻酔等に関して医者からのOKをもらう必要があるらしい。
面倒だ。
一通りの検査をし、同意書みたいなものも書かされた。
「万が一ミスったらごめんね!それでもおっけ?」
結論:良くはない。
良くはないけど書かないと前に進めない。
今流行りの同意書マウントを取られてでも俺は進む。
自分に何かあったらこの同意書を親族等に見せつけられるのかと思うと署名も特別丁寧に書き上げた。事前検査は終わった。
手術まであと1週間。
その間に気を付けることは圧倒的体調管理だ。
万が一にでもコロナになろうもんなら手術自体がなくなってしまうので、他人との接触は極力控える。
そして、迎えた当日。
不安で8時間しか眠れなかった。
朝早くから病院で検査し、昼過ぎに手術、術後1泊入院し翌日の夕方には退院。
そんなスケジュールを組まれている。
当日は朝から絶食。
なんやかんやの検査を受け、手術までの間は病室で待機。
待ち時間はとても長く感じた。
本やスマホを見ていたが頭へ入ってこない。
狭い窓から見える空がきれいだった。
どのくらい待っていたかは覚えてない。
その時が来たようだ、看護師が俺を呼んでいた。
手術フロアに移動した。独特の雰囲気と暗さを感じる。
ワンフロアには手術室が3室くらいあるようで、そのうち1部屋は手術中のランプが灯っていた。
手術部屋に足を踏み入れる。思ったより広かった。
着くや否や、いそいそと俺を手術台に寝かせる看護師たち。
とにかく手術台が細い。
シングルベッドの3分の1くらいでろくに寝返りも打てやしない。寝返るようなシーンはないだろうけど、だとしても狭い。
もしや手術台の相場は細目と決まっているのだろうか。初めてなので分からない。
そして、あれよあれよという間に慣れた手つきで手足にわけのわからん器具が取り付けられる。
1人の看護師が「まずは針だけですよ~」というよくわからない言葉を発しながら腕に針をぶっさす。
針太っ!献血の時よりだいぶ太いぞこれ。
ちなみに自分は注射の瞬間を凝視するタイプ。刺さる瞬間は見逃せない。
腕と針がリンクしたことにより、いつでも麻酔を流し込める準備は整ったみたいだ。
ふと、気づいたら4、5人のにぎやかな看護師に囲まれていた。
なんか楽しそうに話している。たぶんプライベートな話。俺まだ麻酔入ってないのだが?
肝心の麻酔はまだなのか。
焦らしプレイに耐えきれずに聞いた。
「麻酔はまだですか。」
「まだですよ~するときいいますからね~。」
「麻酔したら10秒くらいで意識がなくなりますからね~。」
口調とは裏腹に麻酔の始まりが意識の終わりだとはっきり告げてきた。
いいだろう。このあたりで緊張がほぐれ、頭がクリアになってきた。
なるほど、10秒で意識が飛ぶのか。
ならば自分は意識を保ちに保ち看護師さんたちに意志の強さを見せつけてやろうじゃないか。
どこかに忘れてきた落ち着きを取り戻していた。
刹那、
正常に戻ったはずの脳内がどろり溶けてく感覚に襲われた。
脳の感覚はすぐさま視界に反映された。
世界が、ぐにゃり…。
「あの、なんかちょっと変な感じが…。」
「あ~麻酔きてますね~。」
きてますね~じゃねーよ!マリックみたいなこと言うな。
麻酔入るとき言うって約束したじゃん、えっこれもう駄目なやつ?ああ、カイジみたいになってきたわ、ダメなやつだわ、わかるわこれ、意識保てないわ、てか先生きてなくない?ちゃんとくるの?
おそらくだが10秒ほどで意識が消えたのではないだろうか。
意気込み虚しく、麻酔の前では何も抗えなかった。
そして、目が覚めると手術は終わっていた。
しっかり意識は飛んだままで術中覚醒も無ければ目覚めないこともなかった。
よかった。
無事終わりましたからね~。
担架で運ばれて病室へ。
初めての手術、全身麻酔が終わった。
今回の反省としては、やはり麻酔に入るタイミングだ。
看護師さんの高等テクニックにより、いつから麻酔が注入されたかを煙に包まれた。
次があれば、麻酔導入から果たして自分が何秒まで意識を保てるか、正確にカウントしたいと思う。
ちなみに
手術よりその後の方が大変だった。
麻酔が切れてくると、手術箇所の痛みがじんわりと始まり、
痛みはボレロのようにだんだんと盛り上がっていき、その晩にピークを迎えた。
痛み止めを飲んでも腹に響く痛み。
動けない、トイレもいけない。しかし催す。
ベッド横に置かれていた、し尿瓶。
痛みに耐えながら、初めて瓶に小便した。
そのときに気づいたんだけど、
下腹部の縦横3cm程度の正方形、不毛地帯ができていた。
やるなら全部持って行ってくれ、恥ずかしい。
ドラグーン
「3・2・1、Goシュート!」
掛け声とともに放たれるベイブレード。
解き放たれた回転体は、各々個性を持ってスタジアムの中に荒々しく着地する。
あるものは縦横無尽に駆け回り、
逆に確固たる意志で動かないものもあったり、
また、あるものはやたらでかい円を装備していたり…。
勝利条件はいたって単純。
・相手より長くスタジアム内で回り続ける。
・相手をスタジアム外にはじき出す。
このどちらかであった。
「ベイブレードの思い出」この文字を見て蘇ってきた子供の頃の記憶。
当時、小学生の頃の一時期、決して長く無かったかもしれないが、ベイブレードは確かに俺たちの中心で回っていた。
あれからもう20年近く経っている。背中がゾワっとした。時が過ぎるのは早い。
「3・2・1、Goシュート!」始まりの合図。
飛び出したベイブレードに対して自分たちができることは応援のみ。
時には回転体を触り血が出たこともあった。
「ドラグーン」、「ドラシエル」この言葉の馴染みは深い。
今となっては何がドラグーンで何がドラシエルだったか思い出せない。
なぜなら、タカラトミーによる執拗な「ドラ…」責め。
しりとりにおける「り」責めくらい罪が重い。
ドラグーン、ドラシエルの他もドラ…はやたら存在していたはずだ。
ただ、当時の小学生男子は例外無くドラゴンが好きで(ナップザックも皆ドラゴン)
「ドラ」が付くとドラゴンっぽくてカッコいいと思っていた。※ドラえもんを除く。
そういえば、なんか円を張っているのは黄色だったような気がする。
ところで「ドラグーン」が俺たちの中心にいた割に、
それに対する自分の記憶が薄いことには理由がある。
持っていなかったからだ。ドラシエルもドラグーンも黄色いのも。
自分は手に入れることができなかった。
「ベイブレード」を楽しむためには、当然ながらベイブレードの他にも必要なものがある。
回転を生み出す装置とヒモみないな奴。スタジアムと呼ばれるフィールド、そして一緒に遊ぶ兄弟や友達。
生き方次第で友達はプライスレスだが、玩具一式揃えるとしめて1万円近くは必要になったはずだ。
まず金持ち友達の家でベイブレードの楽しさを知った後、購入交渉を親に持ち掛けたが決裁は通らず買ってもらえなかった。
我が家は貧しかったのだ。
なので、友達の家に遊びに行っては「Goシュート!」していた。
ただ弱い、俺は弱い。
だって駒にしろパーツにしろ友達の余り物だから。
友達に選ばれなかった物たちを自分なりに組み合わせた。
回し方を工夫したりもしたが、センスも無く強くはなれなかった。
ベイブレードは確かに俺たちの中心で回っていたが、そこに自分はいなかった。
今思えば決して長くはなかったベイブレードの時代。
いつの間にか俺たちのベイブレード全盛期は過ぎ去りつつあった。
そんなある頃、ついに見つけてしまった。
ベイブレード。ミニサイズのやつ。安い。これなら買える。
確か、お菓子のおまけみたいな扱いであったような気がする。
1つだけ買った。親に隠れて買った。
勉強机右下の引き出しに貯めていたお年玉(未没収分)を使って。
それは、ゴツゴツした高い奴と違って鉄の重りも無ければカスタムもない。
高い奴をみんな持ってるので、小さいおもちゃで戦う相手もいない。
けれど嬉しかった。ワクワクした。
やっと手に入れた自分だけのベイブレード。
自分の部屋の勉強机の上で回っていたベイブレード。
ぶつかり合う駒がいない俺のドラグーンは、いつまでも回り続けていた。
「3・2・1、Goシュート!」
今年(この半年くらい)の取組・目標
年始にザクっと考えた目標の追記修正をする。
(赤字)2022/04/23 振り返り、追記修正
1.月に1日以上の有給休暇を取得し、その際の過ごし方を事前に考えてリストを10個以上作成しておく。
2月26日現在、ワンノートにて「休日案」項目を作成し、ひとりでしたいことや夫婦でしたいことなどを作っています。なんやかんや準備が全てみたいなところもあるのでできるだけ詳しく。所要時間とかも事細かに書く。書いて満足しないようにしたい。今のところ達成できたのは、私物の整理及びそのメルカリ大量出品くらい。全然大したことないけど今までできなかったので、大きな一歩ということで。
2022/04/23 追記
・やることリストは作成している。
・実行できたことについて、規模感が小さいことが多い、〇〇の本を買うとか…(すぐできるようなこと)。
・基本嫁さんありきで考えている。自分ひとりの行動では日帰りにしかならない。
・自分だけでどこか旅行?その辺をもう少し詰める。
2.分野を決めて読書をし、感想等のメモを取り、自分の知識・考えとする。結果10人に1人の存在となる。
もとから読書は好きなので、ちょこちょこ様々な本を読んでいる。内容結構忘れるけど。
好きに漁っていた読み方は継続するけど、それに加えあらかじめ分野を決めてその分野に詳しい存在になる→10人に1人の存在レベル。→繰り返す→すごい人!
とりあえずは、前から興味あった分野についてある程度知識があるようになりたい、ので
①宗教関係
②歴史(戦争、世界の偉人伝)
③政治関係
この分野のおもろそうな本のリストアップをし、メルカリかなんかで購入して読む。
まずは、それぞれ3冊くらいかな。
2022/04/23 追記
・「民主主義」は読み終わった。
・政治関係について、ネットで調べるようになりニュースも見るようになった。
・急激に分かってきてはないけど前よりはGOOD。
・4月中に次に読む本を2冊購入する。
3.隙あらば親孝行を行う
両親はもう高齢者。いつまでも生き続けるわけでないので、節目節目にでも感謝を伝えて喜んでもらいたい。自分と嫁さんの両方。
とりあえず予定表にそれぞれの両親誕生日を入れました。誕生日はメッセージ送ること、感謝の物を送ること。
あと、なんか美味しいものを自分ちで取り寄せて、それが良かったら勝手に両親へ送りつけることを年に4回以上する。
2022/04/23 追記
・思いはあるができていない
→母の日にうなぎを送ること。計画立てる。
4.仕組化を常に考える
今の部署が4月から2年目となります。年間の業務内容もある程度分かってはきたので、どうすれば今のをもっと効率よくできるか考え続ける。これはこうであるべきといった固定観念は持たないように。業務量が多いところなので仕事の忙しさに押しつぶされて考えることをやめないこと。
先日、机の周りを綺麗にする仕組みを作りました。
・小さいことだけど、〇〇BOX作るとか、固定観念にとらわれずに頑張ってる。
・職場のPCが重いことを訴えかけること
5.3つ行先プラン一通り
いつかは行きたいねと夫婦で言っていたけど、言っただけになっている熊本、和歌山、金沢の見どころをピックアップし旅行プラン仮くらいまでまとめておく。
・未達成、がんばれ
6.ひまわり畑をつくる
今は亡き祖父母の畑が荒地となっていて、そこにひまわりを植えたい!夏に咲かせるために準備が大事!
・祖父母の空き家となった家は漏水があり、親により水道を止めている
・漏水関係の修理・水道を再開させなければならないが自分の行動力低さゆえに何もできていない。反省。祖父母の家が過疎KINGの島なのでどこに頼むのか…。親に相談してみようか。
7.ブログを継続して1年、目安は月に2記事、今年は自分の考えとかを書いていこ!
・今までにないくらい続けている、個人的には。偉い。でも自分で決めた更新頻度には到底達していない。
さいごに、目標は3か月に1回は確認し、追加・修正を行う。
→第一回修正よく思い出した自分
追加
自分がどうなりたいか、軸をしっかり持てるように考えて次までに文字にする
さて、どうなるか。
それでは。
コロナ応援に行ったよ
「コロナ出すぎ~。仕事が回らない、ちょっとほんま助けて~。まじで。」
まん延防止重点措置ことマンボウが発出されたあたりに、保健所からSOSが発出された。
SOS当時の保健所の状況について「地獄だった。」と知り合い保健師は語る。
(土木職でいうところの、豪雨災害時に満身創痍になるアレ的な感じだろうか。)
とにかく、
SOSにより、市役所内ありとあらゆる職種から応援と称し保健所業務を手伝う人員部隊が編制され各保健所に派遣されることになった。
自分もその一人。
…と言うと、カッコ良く聞こえるが、応援部隊側も自身の職場を長期間離脱するわけにはいかないので平均3~5日程度を保健所応援業務に就き、元の職場に戻る。その代わり次の職員が応援に行く。こういうサイクルで回していた。なので、なんやかんやほぼみんな応援行ったんじゃないかな。知らんけど。
そうして初めて行った保健所、そこは土木とは無縁だった世界。
私土木職ゆえに、マシュマロとかマカロンみたいな可愛いさ・おしゃれさのハイブリッド保健師さん達のお出迎えの可能性がゼロでは無いと思いこちらも気合入れて行ったけどそんなことないよね、非常事態だもん。
てか保健所って何してるか知らなんだ。
実は、コロナ患者を診察したり、汚物は消毒だ~!!と世紀末のようにアルコールをぶっかけるような事はしてない。(と思う。応援中は見かけなかった。)
一言で言うと、
コロナ患者と医療機関等をつなぐ窓口のようなもの、と感じた。(個人的見解)
自分は主に以下のようなことを手伝ったよ。
・電話で患者さんの状況や濃厚接触者についてを聞き取り
・患者さんの個別調書を紙・データで作成
・容体が悪化する場合は、入院先を探す
・療養期間が解除となった患者さんへ連絡
内容自体は単純作業と感じることが多かった。
だがしかし、あまりに数が多い。
しかも休日でも新規感染者わんさかでるしね。当然だけど。
よって終わりは見えない。アスファルト舗装の長いトンネルのようだった。
保健所の通常業務もある中でそりゃ無理よ。回らん。
とまあ、そんな状況だったので、職種は違えど最前線で戦うもの同士として、応援職員としての使命を全うした5日間だったと思う。
最後に、
保健所業務(自分の職種においても)が、大変なことなる時ってそもそも仕組みが悪いことが多いよね、たぶん。(無駄なアナログ出力が多すぎたり、その他いろいろと。)
でも末端で働く自分らが変えれんので、それを上の人らにアピールしていきたいと思います。
お疲れっした。
私生活成果主義
いつからだろうか。
「今日の成長」を実感できないと満足できなくなってしまったのは。
一日の「成果」を実感したがっている。俺の頭が体が成果を求めるようになっている。
自分にとっての「成果」とは、一言でいうと、
「昨日の自分より何か一つでも成長できたと実感できること。」
である。
具体的には
・読書をして新しい知識を得た。
・筋トレをして筋肉痛になった。(筋肉痛が自分的に大事)
・資格等の勉強を行い、知識が身についた。
・初めての場所に行き、心が動いた。
・今考えている自分の考えを文字にまとめることができた。
・メルカリでモノを売った(断捨離+金を得ることから。)
・新しい人と出会うことができ、その出会いの中でコミュ力が試された。
などなど…。
ただ、自分の生活環境や年齢・状況などによって自分にとっての「成果」そのものも変わってきて、その点で言うと具体例の最後に挙げた、「新しい人と…」については今そんな望んでもないし、むしろ面倒と思うようになってきた。主に結婚してから。
まずは、この成果に捕らわれるようになった始まりはいつからだろうかと遡った。
明らかに意識しだしたのは間違いなく社会人になってからだ。社会人割と早め1年生くらいだろうか。
ではそれ以前、つまり大学生の頃は「成果」を考えていなかったのかというとそうでもない。
大学のころは、遅寝遅起き飲み麻雀授業に出れず単位放出というゴミ大学生数え役満のような生活を送っていた…
しかし、
何か「新しいこと」ができたときに、確かに溢れていたのは脳汁。
例えば、大学生ならではの格安クソ旅旅行であったり、ママチャリで100㎞海山超えたり、ヒッチハイクだったり。
その時の感情の高まりを、具体的な言葉にまで昇華できていなかったが、それも今思えば「成果」の原石なのかもしれない。
(その感情を成果の一言で片づけるのは聊か寂しいが。)
学生から社会人となり、周りの環境が変わり、飲み麻雀ばかりする友人がいなくなったことにより時間ができた。それによって、今まで見つけてやれなかった自分の感情が顔を出し、今やっと言葉としては認めることができたのではないかと思う。
では、なぜ自分は成果主義なのか。
いろいろと考えた結果
・自分が成長したと思えることが好き。
・会得した知識・経験などに影響され自分自身が変わったと感じることが好き。
・新しく得た知識・経験を活かす、披露することが好き。
この3つが主な理由かな。
本で読んだ知識を日常生活で活かせる場面に出会うと、あっここ進研ゼミに出た出た状態で脳が異様にビキビキなる。気持ちいい。
そもそも、自分自身へのこういう深堀を行うことすらも、
「君たちはどう生きるか」「メタ思考トレーニング」等の本を読んで、なぜなぜ、自分の思考についてよく考えてみよう、と思ったところもあるので。
影響されて動いた一つでもあるよね。ブログはずっとしたかったことだけど。
あと、仕事×成果(成長)が最強なのでは、と思った時期もあるけど今はそこまで思っていない。
仕事関係の知識等を集中的に勉強することで、自分の成果主義も満たせるし仕事にもプラスだしWINWINなのでは?と。
でも、それってあんまり面白くないと感じる。
まず第一に、いろんな分野のことを知りたい。気になったことを知りたい。いろんなことを知ることが面白いと感じる。これが一番。
あと自分は公務員だからどんだけ勉強を重ねても評価に直結するわけでは無いということも大きな理由。
楽しいことをしていこう。
よってこれからの自分の生活も今のところ成果主義である予定。
(ときどき成果主義によって自分自身が苦しくなる時があるがそれはまたいつか考えをまとめたい。)
成果主義だけど、変わるかもしれない、考え。でもそれもまた成果・成長なんだと思う。
日々自分のアップグレードしていこう!
おっけーレッツゴー!死ぬまで楽しんでいこ!
それでは。